ビンラディン容疑者、武器持たず 米が「銃撃戦」修正 :日本経済新聞 http://s.nikkei.com/kapdgD
ラディン容疑者の死亡の報道があった際に、市民が歓喜したという報道があった時点で違和感を感じていた。
何千もの命を奪い、何万もの人の絶望感を作り出した罪はあまりに深く、そこから作られたとてつもなく深い溝を少しでも埋めるため、張本人であるラディン容疑者を捕らえることはアメリカの悲願であったことは想像に難くない。
ただ、その死亡報を受けた市民のリアクションが「歓喜」であるということは、いささか野蛮に思えて仕方がなかったのだ。
遠い歴史の戦においては敵方の大将の首を取ることが勝敗のシンボルであったわけだが、この洗練された現代においても結局は何ら変わっていなかったのではないかと。
映画スターウォーズではジェダイ騎士になるために、己の怒りがダークサイドに引き寄せる元凶であり、怒りに駆られることなく正義を貫けというのがテーマであったはず。多くのアメリカ人はこの教えに共鳴したことが映画のヒットに繋がったものだと思っていたが、現実の社会の中ではやはり怒りに駆られた今回の事件が、市民の歓喜を持って迎えられた風に受け取れた。
それが、今になってその経緯において、過酷な尋問があったことや、実際は武器を持たない容疑者を殺害したということが問題視されているとのこと。とても矛盾を感じる。国際法云々を持ち出すのであれば、ラディン容疑者の殺害そのものが野蛮な行為として受け取られるべきであって、決して「歓喜」して迎えるべきではなかったのではなかろうか。それとも当初の報道通りに銃撃戦が行われていたのであれば許されたことなのであろうか。
そんな意味では今回のこの記事については、市民の偽善ぶりを見せつけられているようでとても不愉快な気分になった。
0 件のコメント:
コメントを投稿