2012年5月31日

イマドキの思いやり

ジムで顔見知りの知人と話していた時に、配偶者の話題になり「あなたのパートナーは?」と聞かれた。
「wife」や「husband」という言葉ではない、「partner」という単語。
この時、なんだか「はっ!」とさせられた。

80年代の終わりに少しだけ住んでいたアメリカでは、クリスマスの時期に送るカードに
「Happy Holiday」と書かれていた。
人種が多様のアメリカでは、その頃既に「Merry Christmas」という挨拶が、
万人に通じるものではないことに気付いていたわけだ。

こちらの企業では就職の際に提出する履歴書に、性別や生年月日、国籍は勿論のこと、
学歴さえも記入することを拒む企業があるらしい。

先の知人のこのたったひとつの単語選びに、その人の思想が込められているような気がして、
なんだかとても暖かい気分になった。

反差別というとあまりにも直球すぎて、大袈裟なものに思えてしまうけれど、
自分の毎日の生活の中で、自分の価値観を押し付けたり、他人を批判してしまうことだけはすまい、
と再認識させられた出来事であった。



2012年3月26日

友達のプライバシー

ソーシャルネットワーク全盛の時代、時間と共に埋もれてしまった交友関係を簡単に取り戻してくれて、たとえどんなに離れていても誰が何をしてるか簡単にわかるようになった今、その恩恵は存分に享受しつつも、やっぱり薄気味悪さを感じずにはいられない。

レストランでの美味しい一品を写真におさめてブログにアップするにも、道行く人の写真を撮るのもいちいち声を掛けて承諾を得ましょうなんて、今までにはなかったモラルが発生する反面、一番身近な人達のプライバシーを守ることができてるのか?ということについてはどうも気にされていないようなのがなんとも不思議。

銀塩のプリント写真だった時代は自分の写真が知らないところで出回ることなんて、物理的にも限られたことだったけど、昨今のソーシャルネットワークによると、いつどこで撮られた写真が誰に見られてるかなんて把握しようもないのが事実。それどころか競うように自分の生活を曝け出すことを厭わない社会全体の空気。

しかも、その写真にご丁寧に名前のタグ付けをする機能が一般的になると、ただ単に写真の画像でしかなかった自分の絵姿が実際の名前とペアとなり、デジタル化されて世の中に出て行くのだ。これからも検索技術は進み、グーグルで自分の名前を画像検索したらあちこちのソーシャルネットワークで知らない間に公開された写真がどんどん出てくる世の中がすぐに来ることだろう。名前のタグ付けはそのお手伝いを検索会社に代わって無償で行っているわけだ。

各社プライバシー保護に真剣である姿勢を見せなければこの一般人によるタグ付け作業のお手伝いはしてもらえなくなるから、声高にプライバシー保護を謳い、あんなに無頓着なFacebookでさえも細やかな設定ができるようになってきたのは事実。ただ、利用者側が果たして同じような危機感を持って自分だけではなくて他人のプライバシーをも保護する意識を持っているかというと、それは疑わざるを得ない。レストランの料理の写真やどこの誰だかわからない人の権利を守ることには真剣な人々も、実際足元の自分の周囲のプライバシーを守っているのかということを今一度考えるべきではなかろうか。

隠し事をしているわけじゃないから気にする必要なんて何もないと断言できる人もいようが、そんな人が自分のページで公開する友人、タグ付けして名前を明かしている当の友人のポリシーを保護してるいるのかということを本当に理解しているのか。一番守るべきところは自分だけではなくてむしろ周囲のことなのではなかろうか、そう思うのはおせっかいすぎるのだろうか。

2012年2月16日

【ネットで散歩】ディーゼル車を買うべきか?

このニュースを読んでて疑問を感じた。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4954516.html


そう言えば欧州では日本ほどディーゼル車の規制がされているわけではなく、実際自家用でも新車がディーゼル仕様で次々と販売されている。この差はなんなのだろうか?
http://techon.nikkeibp.co.jp/AT/magazine/2004_01/TechReport001_d.html

そもそも、ガソリンとディーゼルの違いって何?
まずは重油と軽油の違いを調べたら、次のサイトで分かりやすく解説されていた。
http://www.otona-magic.net/zatugaku/100383.html

日本のガソリン価格推移
http://carlifenavi.com/

欧州での国別ガソリン・ディーゼルの価格比較
http://www.aaireland.ie/AA/Motoring-advice/Petrol-Prices.aspx

アイルランドでのガソリン・ディーゼルの年ごとの価格比較
http://www.aaireland.ie/AA/Motoring-advice/~/media/Files/AA%20Ireland/Reports/Fuelprices%20history_Oct11.ashx

ガソリン価格が90年代初頭から現在は実に2倍になっていることに改めて驚いた。

ということは現時点で財布に優しい選択はディーゼルハイブリッドということか?
ということで検索してみたら、yahoo知恵袋でみつかった。しかも既に2007年には着目されてたなんて…。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410981379

2012年の現在はこれから5年経つわけで、技術もしっかり進歩してきているのを考え合わせると、欧州で車を購入する際は、ディーゼルも検討の対象にするべきなのだろうと思った次第。

いろいろ遠回りをしたものの、結局次のページが日本と欧州のディーゼルに対する姿勢の違いを明確に説明していた。なるほど。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/lcc/20100415/1031522/?P=1



2011年9月13日

Androidウォークマン

http://gigazine.net/news/20110913_sony_walkman_z/

遂に発表されたわけだが、果たして時代のニーズにマッチしているのか?という点が気になる。確かにスペックを見る限りでは最先端・最高峰のものを搭載してきていることは事実ではあるが。

iPodが生まれてからは、携帯音楽端末としての地位をすっかり明け渡してきた過去を振り返ると、今回の製品は正にアップルのiPodTouchにおける位置づけであることは明らか。ただ、アップルの場合は、先にiPodTouchが出しておいて、電話機能を合わせ持つiPhoneへと進化してきた過程がある。消費者のニーズとしては、iPodやiPodTouchで音楽を楽しんできて、「これで電話機能がついていれば一台で全てを満たせるのに」、という欲求をiPhoneで叶えてくれたわけだ。それはiPodTouchを、iPhoneをヒットさせた根本的な理由だと考える。

今回ソニーはその逆を行くわけだ。一台持てば事足りる状態がすっかり定着した今、果たして2台持ちに逆戻りする層がどれだけあるのかがわからない。勿論音質にこだわる層やソニー信者は飛びつくことは容易に想像がつくけれど。

そんなことはソニー自身充分承知しているであろう。ただiPodTouchを購入する層にアピールできる商品が今までなかったことから、かつての栄光を取り戻すためには、そのミッシングリングを、たとえ遅すぎるタイミングとは言え世にださざるを得ない事情があるに違いないと想像する。

なによりも残念なのは、ソニーが時代を後追いするようになってしまったことだ。できることなら、この商品はiPodTouchが出る前に出していて欲しかった。当時でさえClieがあったわけで、技術的には全く不可能なことではなかったはず。逆にClieのDNAは進化することなくすっかり埋没してしまった(その後携帯電話に生かされたのではあろうが)。

WalkmanやReader、Xperia、Bravia、vaio、Cybershot、PlayStation、音楽や映画のソフト関係すべてのプロダクツを見ると、今消費者が欲する電子機器の大半をソニーは持ち得ているわけではあるが、分社、細分化の弊害のためか横断的な製品が出てこないことが今のソニーの弱点であるように思えてならない。

人々の度肝を抜くような発想を持った商品や、新しい生活を提案できる製品を産み落とせるのは、今はアップルしかなくなってしまったことがとても残念だ。


2011年7月21日

Lion バージョンアップ後のメモ

【インストール】
インストール後も30分ほどでスルスルと特に問題もなく終わり、極めて順調。
特に引っかかったソフト類もない。

【スクロール】
スクロールが逆になったことは最初こそ違和感があったものの、すぐに慣れた。
これはこれでタブレットユーザーには理に適っていると思われるが、これでますますWindowsに戻らりづらくなった気がする。

【Mission Control】
ExposeやSpacesに置き換わったMission Controlも使い勝手が良く、デスクトップが一挙に広がったようで落ち着く。今までSpacesは画面の切り替えが面倒だったので余り利用してこなかったが、Spacesビギナーにとってはとてもいい解決策だと思う。
一部では一貫した操作方法でないことに批判的な事前記事が出ていたが、それには当てはまらないように思われる。

【フルスクリーン】
今回のウリの一つであるフルスクリーン表示を利用すると、アプリごとにSpaceが増えていく仕様になっていて、アプリが埋もれていくことがないようになっているのも好ましい。Spaceの行き来はマジックマウスでも2本指のスワイプでバラバラめくっていけるのでストレスにならない。これを機にトラックパッドの購入が必要かと思われたけど、マジックマウスでもある程度までは問題ない。

フルスクリーンからの復帰はボタンがあるわけではないので、フォルダーバーから出してくるか、キーボードのショートカットを使うことになるのだろうけど、ショートカットがアプリごとに違うのが少し不親切。
(例えばChromeは、Shift+cmd+Fなのに、メールは ctrl+cmd+F)

【Time Machine】
ただ一つ気になるのはTime Machineがバージョンアップ後、外付けHDに置いていたサーバーの過去の記録を読み込めなくなっていたようで、バージョンアップ後は停止状態になっていた。これは一からバックアップを新規に取り直すことで難なく回避し、うまく作動し始めた。過去24時間の記録は1時間ごとに監視されているので、自由に戻せるのが素晴らしい。

【Launchpad】
Launchpadも一部記事では批判されてたけど、これはこれで使い勝手が良い。今までドックの上にあった「アプリケーション」のフォルダーはこれで必要なくなる。iPadやiPhoneのホーム画面上のアプリ配置になっていて、フォルダー化もできるので、「アプリケーション」のフォルダーよりも使いやすい。

【メール】
メールはスレッド表示が便利。過去のやり取りがダラダラついてるメッセージも重複箇所を省略して表示してくれるから見やすい。ただ受信メールのみの表示なので、送信メールも表示してくれたらやり取りの経緯が一望できて便利なのだろうけど、これは残念。
又、自分はGmailも受信メールはフォルダーに分けてアーカイブしているのだけど、フォルダー表示は以前のままアカウントごとに長々と羅列されるので見づらいまま。この辺はiPadやiPhoneの方がすっきりしているのだが。


2011年7月19日

【ネットで散歩】Michel de Klerk

車のフロントガラスに突如ヒビが入り、その修理に車を出したのだけど、出来上がるまでに時間がポッカリあいたので、修理工場の近くを散策。そう言えばこの辺に変わった建物のアパートがあったよなぁ、と足を向けたのでした。

この建物、オランダの建築家ベルラーへが設計したものだとずっとずっと思い込んでいたのですが、改めて調べてみたら、全く別の人物でした。
DSC03416-2011-07-19-22-23.jpg
DSC03414-2011-07-19-22-23.jpg
DSC03423-2011-07-19-22-23.jpg

Michel de Klerk。wikiによると1884年生まれた彼はすぐに父親を亡くし、アムステルダムのユダヤ人街の孤児院で育ったとのこと。初等学校では美術の才能を見出され、後にアムステルダム国立博物館などの設計者として有名なP.J.H.カイパースの従兄弟のエドワードの導きでカイパースに仕えるようになりました。そうして、この”The Ship”の設計に携わることになります。1918年以降にはベルラーへの南部プランの建築家群の一人に名前を連ねますが、才能が伸び悩んだまま39歳の誕生日に肺炎で亡くなりました。

貧しい少年がカイパースに出会い、当時の建築界の第一線に出られたことはとても幸運な人生だとも考えられるし、その反面晩年は失望の中で若い命を病で落としたこと、又彼の妻や一番下の子どもは第二次世界大戦中にナチの収容所で亡くなったことを考え合わせるととても薄幸な運命の人にも思えます。

建築のことは何もわからないのですが、レンガ作りでありながら、美しい曲線を多用したこの建物は、見ていてとても楽しい。そして何よりも、そんな建物が今でも立派に保存、利用されてる(今でも住宅としても使われています)のを見ると、やっぱりこの街が好きだなと思ってしまいます。




2011年5月8日

モンスター被災者

東電社長の福島訪問のニュースを見ていて、土下座のシーンでふと思ったのが、この世の中何でもモンスター〇〇の存在があるのだから、もしかしてあるのかな?と思い検索したらやっぱりヒット、「モンスター被災者」。
勿論極々少数の人であろうことは十分に承知しているのだが、とても残念な気持ちになったことは否めない。

震災後1ヶ月ほどたってからどこかの記者が人里はなれたメディアが足を運ばないような小さな被災地に、老人ばかりでほとんど犠牲者もなく生存している様子を取材した記事があった。その村の方々の様子は記者が訪れたことを手放しで歓迎して、感謝している様子が描かれていて胸が熱くなる思いがした。

犠牲者が少なかった分、悲しみにくれる精神的な抑鬱が他の被災地に比べたら少なかったのかもしれないが、それでも家を失い、財産を失った点では変わりがない。なのにそこの方々はおおらかでたくましく、他者への非難に明け暮れている様子は微塵もなかった。

それに対して、あの「土下座しろ」の怒声のシーン。あまりにかけ離れたリアクションの違いにショックを受けた。
日常の全てを奪われたのが天災よりむしろ人災といわれる原発からみの被災者だけに、怒りの矛先が東電に向けられることは自然な思考だとは頭では理解しているつもりであるが、他人を尊重することを既に忘れ、怒りに駆られた行為しかもはやできなくなるのであれば、この先の問題解決への対処をむしろ困難にしていくばかりではなかろうか。

たとえ自分が窮地に立たされた場合でも、自分は他者への感謝の気持ちは忘れず、謙虚でありたいとつくづく思わされた一件であった。