ソーシャルネットワーク全盛の時代、時間と共に埋もれてしまった交友関係を簡単に取り戻してくれて、たとえどんなに離れていても誰が何をしてるか簡単にわかるようになった今、その恩恵は存分に享受しつつも、やっぱり薄気味悪さを感じずにはいられない。
レストランでの美味しい一品を写真におさめてブログにアップするにも、道行く人の写真を撮るのもいちいち声を掛けて承諾を得ましょうなんて、今までにはなかったモラルが発生する反面、一番身近な人達のプライバシーを守ることができてるのか?ということについてはどうも気にされていないようなのがなんとも不思議。
銀塩のプリント写真だった時代は自分の写真が知らないところで出回ることなんて、物理的にも限られたことだったけど、昨今のソーシャルネットワークによると、いつどこで撮られた写真が誰に見られてるかなんて把握しようもないのが事実。それどころか競うように自分の生活を曝け出すことを厭わない社会全体の空気。
しかも、その写真にご丁寧に名前のタグ付けをする機能が一般的になると、ただ単に写真の画像でしかなかった自分の絵姿が実際の名前とペアとなり、デジタル化されて世の中に出て行くのだ。これからも検索技術は進み、グーグルで自分の名前を画像検索したらあちこちのソーシャルネットワークで知らない間に公開された写真がどんどん出てくる世の中がすぐに来ることだろう。名前のタグ付けはそのお手伝いを検索会社に代わって無償で行っているわけだ。
各社プライバシー保護に真剣である姿勢を見せなければこの一般人によるタグ付け作業のお手伝いはしてもらえなくなるから、声高にプライバシー保護を謳い、あんなに無頓着なFacebookでさえも細やかな設定ができるようになってきたのは事実。ただ、利用者側が果たして同じような危機感を持って自分だけではなくて他人のプライバシーをも保護する意識を持っているかというと、それは疑わざるを得ない。レストランの料理の写真やどこの誰だかわからない人の権利を守ることには真剣な人々も、実際足元の自分の周囲のプライバシーを守っているのかということを今一度考えるべきではなかろうか。
隠し事をしているわけじゃないから気にする必要なんて何もないと断言できる人もいようが、そんな人が自分のページで公開する友人、タグ付けして名前を明かしている当の友人のポリシーを保護してるいるのかということを本当に理解しているのか。一番守るべきところは自分だけではなくてむしろ周囲のことなのではなかろうか、そう思うのはおせっかいすぎるのだろうか。